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元同僚の今橋くん(@imasashi)のブログエントリ、「インフォメーションアーキテクト(IA)という名称は適切なのか」を読んで。
なんかエントリの中で師匠になってて、あれれー?とか思ったりしているワケなのですが。

クライアントから、好き放題に要求を言われた。
何から手をつけていいかも、ゴールも良くわからない。
そもそも届いた資料が見づらすぎる。
それを構造化し、整理し、優先順位をつけて、ドキュメント化した。
何をしたらいいか分かってきた。
デザイナーに伝えた。

これ、情報設計です。
しかし一般的に、これをIAの仕事とは呼ばへんです。プロデューサーとかディレクターの仕事です。

このエントリを読みながら思い返してみると、最近IAという文脈での議論が再び見られるようになってきたのだけど、それはインフォメーションアーキテクトがどうこう、というよりもどちらかというと「情報アーキテクチャ」という領域に対してのものなような気がしてます。

というのも、IAはやはりスキルセットであって、思考法などに近い基礎能力であるべき、と僕は思っているのでタイトルはそれほど関係ないし、領域としてどうとらえていくか、のほうが僕も含めて関心事なのかな、という感じなんだと思います。

その上で。

なんとなく思うのは、ウェブサイト上に整理された情報と、それをとりまくUIやビジュアル、これらはほぼ「表現」としての情報レイヤーにあると思ってます。
ウェブサイトにおける表現は、いろいろな利害関係の調整とか、すべてはユーザのために、とかいろいろな使命感や事情、思惑の上に実現されており、ちょっとしたパワーバランスですぐに形が変わってしまうほどもろいものだと思うのです。

そんな中で最近僕は、それよりも根本にあるレイヤーで「情報の整理」と「説明」、そして「理解」を促したいと思ったりするようになったりして。
要はデジタル、とか造作物に関わる情報設計だけでなく、課題や議論の整理や調整なども含む、課題を可視化してそれを構造化して整理、説明することで認識の共通化や、合意の最適化をはかるための情報整理に興味を持つようになりました。

「人間が知覚できるものはすべて情報としての側面を持つ」、というよりは「そのままでは情報として機能しないものを、情報として人間に認知でき、かつ理解できる状態に変換、説明する」ことが重要だと思うワケです。
そこにデジタル、フィジカル、クリエイティブという垣根は特に関係がない。

と、考えて行くとどんどん領域がひろがってとてつもない感じになっていきますが、それがこの分野のおもしろいところでもあるし、それはつまるところ「スキル」だよね、とも言えるのかもね。という感じです。

とか。マジレスしてみました。

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下北沢B&Bにて、FlipboardのUXデザインも担当したクレイグ・モド氏による「出版・新聞・テレビさえも今の姿はあとわずか? O’Reilly Media刊『マニフェスト 本の未来』刊行記念」というイベントに参加してきました。

個人的に、FlipboardのシンプルなUIや、コンテンツとナビゲーションを一緒のものとして扱うシンプルさ、などクレイグ氏の発想に注目していたので、どんな話しが聴けるかと楽しみにしながら参加しました。

話しの軸は、前述の書籍に関連しながら

  • 超小型出版
  • 開かれたウェブ
  • 破壊的なイノベーションはスタートアップから始まる

という3つのキーワードがあったのかな、と思います。

■超小型出版

「超小型」出版 – シンプルなツールとシステムを電子出版に
http://craigmod.com/journal/subcompact_publishing/ja/

Kindleでも読めます。

このエッセイの中で出てくる「超小型」というのは一つのキーワードだと思いました。

彼は「超小型宣言」として、以下の7点をあげています。

  • 小さな発行サイズ (3〜7記事/号)
  • 小さなファイルサイズ
  • 電子書籍を意識した購読料
  • 流動的な発行スケジュール
  • スクロール(ページ割やページめくりといったページネーションは不要)
  • 明快なナビゲーション
  • HTML(系)ベース
  • ウェブに開かれている

記事の内容をシンプルにしぼって行く事で、アプリケーション自体の設計やサービスの料金、データの汎用性に至るまで、マルチデバイスで容易に対応できるようになる、と説いています。

自身のデザインしたFlipboardの例をあげながら、「Flipboardで一番時間とコストを要したのは、フリップのインタラクションを開発する事だ」と言っており、アプリケーションをリッチにしすぎてしまうことにより、開発コストや工数の増大だけでなく、デバイスに依存してしまう懸念もあり、いいコンテンツが生まれてもそれを世の中に出すのに時間がかかってしまう、というわけです。

シンプルの例として「The Magazine」をあげていました。
http://the-magazine.org/

  • 各号4〜5記事のみ
  • 各号の大きさは数メガバイト以下。ダウンロードに数分や数時間かかる多くの電子雑誌とは違い、数秒でダウンロードできる
  • 購読料は月1.99ドル
  • ニューススタンド経由でプラットフォームへスムーズに配信される
  • 出版は月2回
  • ページネーションなしのアプリケーション
  • 読み方は一貫していて、完全に直感的
  • HTMLベース

マガジン自体の構造を極力ミニマルにすることで、スピーディにコンテンツ配信が可能になるし、デバイスをまたいだコンテンツ提供も容易になる。
しかも、アプリケーションのデザインもUI/構造ともにとてもシンプルにまとめることができ、それが使い勝手にもつながる、と説明しました。

- Flipboardプロジェクト:「フリップフロップ」 – デジタルーフィジカルを行き来する

フリップフロップとは、

フリップフロップ (FlipFlop) は二進法の基本である1ビットの情報を一時的に”0″または”1″の状態として保持する(記憶する)ことができる論理回路で、順序回路の基本要素である。
- wikipedia -

とありますが、クレイグ氏は「デジタルーフィジカルの間を自在に行き来する」という意味合いで使っていました。それが重要だと。

その事例として、自身が関わったFlipboardでのエピソードを披露してくれました。

クレイグ氏は創業者であるMike McCueの依頼でFlipboardの開発に14ヶ月の間、UX Designerとしてプロジェクトに参画しました。

FlipboardのUIですばらしいところは、

  • ページをめくるインタラクション
  • どんなコンテンツも写真+美麗なテキストでキレイに届けられる
  • めくって、タップするというシンプルな操作

があると思っています。

Flipboardのプロジェクトは前述のとおり、「フリップのインタラクションを実現するのに最も期間とコストをかけた」と言われているくらい、そのインタラクションの心地よさに大半の時間が費やされました。

画面のUIパターンのプロトタイプ、タイプフェイスのグリッドシステム、画面遷移の検討、設計のフェーズだけでも相当な量の資料がやりとりされ、実装のフェーズではエンジニアが寝ずにgithubにコミットしつづけるというかなりデスマーチなプロジェクトだったそう。

クレイグ氏は、このプロジェクト印象的なものにするためにあることを計画したといいます。

それは、Blurbというプリントオンデマンドサービスを使って、プロジェクトを「本」として記録することでした。

・Blurb
http://www.blurb.com/

クレイグ氏はプロジェクト期間中に生み出されたすべての成果物

  • UIプロトタイプ
  • タイプフェイスのグリッドシステム
  • 画面遷移図
  • githubへのコミットリストとコメントの全量
  • プロジェクト中のメンバーの写真(instagram)

を、300Pの大判書籍としてパッケージして、プロジェクトローンチのパーティでメンバーに渡したそうです。

「僕らは相当すごいことをした。でも、デジタルの上では一つのファイルも10000のファイルもフォルダで束ねてしまえば並列。量も深さもわからなかった。それを実感するために、本を作ったんだ。」とクレイグ氏は言っていました。

デジタルなプロダクトを作っているからこそ、フィジカルな手触りを実感する事が重要だし、こうして残すことで「捨てない限りは削除できない」記録となる。というのも大きいと思いました。
設計して、ソースコードをプログラミングして、gitにコミットして、app storeに申請、という機械的な流れの中に感情的な気持ちが入ってくることで、サービスやプロダクトに必ずいい影響が訪れると思いました。

■開かれたウェブ

開かれたウェブ、という言葉も印象的でした。

「ウェブって、もともとオープンなネットワークでしょ?」というのは誰もが思う事ですし。
でも、よく考えてみると、ウェブって「ネットワーク自体はオープンであるが、長い期間PCの中だけの世界に限定されていた」のだと気づきました。
ネットワークが開かれていてもそこにアクセスする手段が著しく乏しい期間が長かったのです。

でも、今はPC/スマホ/タブレットだけでなく、kindleのような電子書籍ビューワーでもHTML系の文書を表示できたり、Web系の技術でコンテンツをどこにでも容易に配信する事ができ、またそこへのアクセスも可能になっています。

コンテンツがシェアされたり、電子書籍ビューワでも閲覧可能だったり、どこでもその時に合ったコンテンツの楽しみ方ができる。

ようやく最近になって、ウェブはそのオープン性を発揮できるようになってきたんだな、と感じました。

だから、僕らのコンテンツ作りの発想もそのオープン性を考慮した物でなくてはならない、と思います。

■破壊的なイノベーションはスタートアップから始まる

クレイグ氏は、イノベーションの事例として以下の3つをあげていました。

・wattpad
http://www.wattpad.com/

 読者と作者をつなぐ新しいストーリー共有コミュニティ。ユーザはストーリーを読んだり、投稿できたりする。
 小さいストーリの集合知的なサービス。
 それをPinterestにシェアしたり、モバイルでもよめたりする。

・Tokyo Otaku Mode
http://otakumode.com/

 日本のスタートアップが仕掛けるオタクカルチャーのサイト。
 この企業は、Facebookのみでファンとの交流を続け、ファン数をのばした。
 シンプルに写真を投稿して、それにファンとインタラクションする、という活動を続けた。
 そうして成功して、今はオウンドメディアを持つに至った。

・tapestry
http://tapestry.is/

 オンラインで、スライドショーや紙芝居みたいなものが簡単に作れるサービス。
 ビューワーで簡単にスライドを編集でき、パブリッシュしたコンテンツは即時にスマホやタブレットでも閲覧可能。
 コンテンツ出版と、開かれたウェブへのパブリッシングがとてもスピーディに行える可能性を秘めている。

こうしたスタートアップにこそ、イノベーションの源泉が眠っているので、無視をしないようにする。

というメッセージが印象的でした。

■まとめると

今回のクレイグ氏の話しは、個人的にはすごく腹落ちする内容でした。
僕個人、コンテンツを「内容」と「データ構造」に分けて考えるべきであると思っていて、今回の超小型出版の話しはまさにその部分への示唆に富んでいました。
作りたい人には、ものを作って世界に「すぐに」発信できる場を、楽しみたいユーザには良質なコンテンツを「たくさん、そして探しやすく」出会わせる事。
この二つがこれからウェブの世界で情報を生んで、つきあって行くためのキーワードだと思っています。

そういう意味で、電子書籍に対する「超小型宣言」はとても挑戦的だけど、真理をついている、と感じました。

電子デバイスで「本(現実世界では本の体裁をとるコンテンツ)」を読むのに、本をめくるメタファーが必要か、ということがあります。
本をめくるメタファーが「次のページへ進む/戻る」という唯一のアフォーダンスでない限りは、それは不要と考えるのも割り切りだと思います。
本をめくる気持ちよさや心地は、本をめくることでしか体験ができない要素だと思います。
であれば、デジタルデバイスでの文章体験もデジタルでしか体験できないものであるべきです。

本は本でなければいけない、とかそういう呪縛めいたものからそろそろ脱却すべきかもしれません。

デバイスとコンテンツが不可分でないほうがいいかな、と思うのです。
ある単一のデバイスに完全にしぼる場合は別と思いますが、基本的には表示するデバイスやチャネルとコンテンツが持つデータ構造は分けて考えられたほうがいい、そしてコンテンツが持つデータ構造は極力シンプルなメタデータの集まり、文書構造にしておくのがいい、と思っています。

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突然再結成された、Ben Folds Five、来日公演に行ってきました。

実はライブで見るのは始めてだったけど、ホントよかった。

ロックバンドよりもうねったグルーヴから、ジャズのようにスイングしたり、クラシックのような流麗なフレーズ、変幻自在なベン・フォールズのピアノとキレイな英語の発音と声にやられっぱなし。

僕は、特に三枚目のアルバム「ラインホルトメスナーの肖像」というアルバムが一押しで、この作品はまるで組曲のように緻密な構成を持ちながら、どこか荒々しい演奏も残ってて、そのバランスがとてつもない緊張感を持ってて、いつ聴いてもヒリヒリします。

ただ、今回のライブはやっぱり「Philosophy」を聴くためだけにあったな、とそういってもいいくらいでした。

泣ける。

この曲は、僕のすごい大切な友達が結婚式で僕に送ってくれた曲でもあり、彼がやっていたバンドでも登場の時にずっとSEで使っていた曲。

“go ahead you can laugh all you want
I got my philosophy
[keeps my feet on the ground]
and I trust it like the ground
that’s why my philosophy
it keeps me walking when I’m falling down”

笑いたければ笑え、僕は哲学を持って生きている。
地に足をつけて生きている。

音楽に背中を押されるということは、ホントにあるんだと思うくらい重要な楽曲。

哲学を持って生きる、生きて行く中で自分の中に哲学を持つ。
生き方が哲学になり、哲学が生き方になる。

いや、よかったです。ほんと。

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World IA Day2013が無事に終了しました。

僕は今年も運営チームとしてお手伝いさせていただきました。

今年のテーマは「Exploring and Expanding the Ontologies of IA(IAの価値体系を探求・拡大する)」として、集合知 × IAの観点でセッションを設計しました。
登壇いただくスピーカーの片側もWebサービス設計など、いわゆるインフォメーションアーキテクトという人ではない人に登壇いただいたのですが、結果としてかなりIAというものを考えるいいきっかけになるような体系化されたセッションになったと思います。

個人的には、楽天の森さんがセッションで扱った「ビッグデータと、クラスタリング・マイニングの視点、機械と人が協調する」という視点と、Gunosyの関さんの推薦エンジンのセッションの繋がりはよかったと思います。
Gunosyは僕個人的に、今回一番楽しみにしていたセッションでもあったので、お話が聞けてよかったです。

ユーザはコンテキストを破壊する存在であり、コンテキストを作る存在もまた、ユーザである、という言葉が印象的だったのですが、インフォメーションアーキテクトが設計するツリー構造、タクソノミー、ペルソナ、ユーザフロー、それだけでは規定できないほどユーザの置かれている局面は多様化していて、こちらが「ユーザニーズにマッチしたものを設計して出す」ということが難しくなっている。人の力だけで情報をユーザに合った形で届けるという発想に限界がきているのかもしれません。

そこで、Gunosyというサービスは人×AIという、人と機械の協調による推薦エンジンの精度強化を通じて、情報が利用者にとっても「意味を持つ状態」で届ける、という視点と協調フィルタリングではないアルゴリズムを用いて「まだ見ぬ情報との出会い」をデザインするところまで見ている。
この部分がとても面白いサービスだと感じました。これからも期待して注目してみたいと思います。

また、情報のオープン化などの流れで、自社・外部のデータの境界線も曖昧になっていて、文字通りアンビエントな情報空間にある現代なワケですが、そうなった場合のインフォメーションアーキテクトの役割、というものについては引き続き考えて行きたいと思いました。

個人的な最近の興味は、

  • 人と人のコミュニケーションの中でいかにして、情報は意味を持つようになるのか
  • 社会と情報の関連性は
  • 社会にとって、利用しやすい情報空間を実現するには

という部分があって、社会と接しながら生きている人間、都市生活者としての人間として、情報社会とはどんなものなのか、自分で理解したい、社会をもっとわかりたい、という個人的な欲求があるように思います。
ネットワーク空間、リアルな生活空間、その両方に社会があり、その社会とはいったいどんなもので、そこでいう情報とはいったいどういうものなのか、それを人に伝え、理解するということとは。。。などをテーマにいろいろ考えてみたいと思っています。
その関連で、最近では社会システム理論や、ソシオセマンティクスに興味を持っています。
こちらも引き続き、勉強して行きたいと思います。

来年も楽しみです。

※追記:2013/02/12

■セッションスライド

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最近、社会システム理論という分野に恥ずかしながら初めて触れ、なかなかおもしろかったので浅い考察ながらちょっとまとめてみようと思いました。

情報アーキテクチャ、という分野を考えたとき、従来の、というよりは長らく日本のWeb業界でとらえられてきた役割と言えば、

  • 調査結果から適切なIA方針を定義する
  • ユーザの定義と整理:ペルソナ作る
  • サイトストラクチャを書く
  • ワイヤーフレームを定義する

のような部分が、一般的な見え方としてあったのかな、と思います。

おそらく、実務上は今でもそこはそれほど変わっていないのかもしれません。

■「社会」への興味

ただ、情報アーキテクチャってそもそもどこに向かっていくんだっけ?という話しを考えたとき、これだけでは明らかに領域が狭すぎる。
その場合、「情報アーキテクチャが対象とする「情報」とはどこまでのことをさすのか」と考えるようになりました。

そこで興味を持ったのが「社会」という単位です。

ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンは社会システム理論の中で、「人間は社会の構成要素ではなく、社会を取り巻く環境の一つと捉え、社会とは継続的に続く「コミュニケーション」によって維持される自己創発的(オートポイエティック)なシステムである」と定義しました。

社会は、「前提として存在する」のではなく「維持される」ものであるという視点が、なんだか今の社会を捉える上でとてもしっくりくる考え方だと感じました。

社会という単位を、構成要素の視点から考えると今やリアルな空間にもバーチャルな空間にも「コミュニケーション」が相互連携的に起こっており、リアル/Web全体を社会として捉えざるを得ないのは自明のことだと。当然、扱う「情報」量も「社会」の広さと関連し合っていると。

この部分、The Understanding GroupのDan Klynの「Nature of Information Architecture」というスライドでTUGのフィロソフィーでもある、

  • Ontology:意味
  • Taxonomy:分類/法則化/構造化
  • Coreography:連続性/シーケンス

という部分との関連性も見て取れます。

ルーマンの視座に立てば、社会を社会として維持して行くのは絶えず発生するコミュニケーションによるもの。
情報アーキテクチャは、情報を意味付けし、理解可能な構造に分類し、それが連続して提供され続けることをサポートする、いわば社会を円滑に成立させる要素になりえるのではないかと考えました。

■「情報」と「意味」を考えるということ

そうなったときに、「情報」とは何だろう、という疑問があります。

情報とは、、、

「文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手において、状況に対する知識をもたらしたり、適切な判断を助けたりするもののこと。」
- wikipedia -

情報とはネイサン・シェドロフの「理解の外観」にもあるようにデータの集合でそれ自体が意味を持ったものです。

慶應義塾大学の深谷教授が提唱する「ソシオセマンティクス(社会意味論)」という分野において、意味と情報の関係について、

  • 人間は情報を獲得(認識)し、情報に基づいて意味づけし、行為する。
  • 行為は状況に影響を及ぼし、また情報を獲得して意味づけする。
  • この意味づけ・行為の連続プロセスで情報を受け止めるフレームと情況は絶えず柔軟に再編成される

と定義されています。

「情報」と「意味」の関係において、「行為は状況に影響を及ぼし、また情報を獲得して意味づけする」という部分が重要だと考えます。

状況によって、情報への意味付けが変わる、とも解釈でき、人により状況により情報への意味の付け方が変わることを考慮する必要があるということになるのだと思います。

たとえば、ある企業サイトなどを例にとったとしたとき、「IAがサイトの情報を整理/分類して理解しやすく提供する」ことには限界があるのではないかと感じました。
IAの視点で整理分類したところで、ユーザは状況/リテラシ、など様々な周辺事情に左右されて情報への解釈や意味付けが人それぞれ違う可能性があります。
また、「検索」をして目的の情報へたどり着けるかどうかも未知数です。

そうなったときに、「意味の関連性」という視点が必要不可欠になってくると感じました。
たとえば、Googleナレッジ検索やFacebookが発表したグラフ検索のような関連性の高い情報をキュレーションする機能を提供するという視点。
あるいは、最近個人的に注目しているサービスで「Gunosy」がありますが、これは自身のWeb閲覧履歴やソーシャルメディア上での活動をAIで分析して、関連性の高い情報をユーザにとどける「パーソナル新聞」的なサービスです。

Gunosyの面白いところは、使えば使うほど精度が上がり、また自分がふだん購読していないサイトの対象に情報を取得するという視点です。
自分のインターネット上での閲覧習慣(いつも見てる話題、時期によって注目している話題)と、それに対しての「まったく新たな情報との出会いを提案する」というところまでを実現しようとしている点が面白いと思いました。

インターネット上の世界も含めた、生活空間すべてが「社会」と捉えたときに、膨大に爆発する情報量の中でいかに生活者が「情報への意味を見いだしやすくするか」、を考える必要があり、その手法は従来までの人の手を使ったタクソノミー/カードソーティングに限らなくなってきている、ということなのかもしれないと感じました。

まとまりがなくなりましたが、引き続きこの部分の関連性について知識を深めようと思います。

■参考書籍

・社会システム理論
http://www.amazon.co.jp/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E7%90%86%E8%AB%96-%E4%B8%8D%E9%80%8F%E6%98%8E%E3%81%AA%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%92%E6%8D%89%E3%81%88%E3%82%8B%E7%9F%A5%E3%81%AE%E6%8A%80%E6%B3%95-%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9-%E4%BA%95%E5%BA%AD%E5%B4%87/dp/4766418921/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1359369852&sr=8-1

・慶應義塾大学深谷研究室:ソシオセマンティクス工房 講義資料
http://web.sfc.keio.ac.jp/~tomohito/lecture/index.html#COURSE2011S

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とあるブログエントリを読んで。

音楽の価値とは??
http://blog.livedoor.jp/givemeyour/archives/52080337.html

「音楽」というより、「音源」と言った方がいいのかな。この場合。と思いました。

グレイトフルデッドじゃないけど、アーティストがどこで儲けるか、というビジネスモデルもプランする必要がある時代ってことかもしれない、と思いました。
1曲の音源というよりも、よりかっこいい音楽、より自分の趣味にあった音楽なら1曲でも多く聞きたいし、それを常に手元においておきたい、という僕みたいなユーザもいるから、音源とユーザの出会い方みたいな視点も重要なのかもな。。とか。

ある意味、音源自体への価値というより某アイドルグループのように音源とイベントへのチケットを同梱して、イベントチケット目当てで音源を買わせる、というのも立派なビジネスモデル(理解には苦しみますが)だと思ったりもするし、「音源」や「アーティスト」への価値付けの仕方も、もはや彼らが奏でる音楽そのものだけでは語れなくなってきた、ということなのかもしれません。

音楽を楽しむユーザのセグメントも多様化した、というだけだったりもするのかなー、という。
音源自体の価値、という話で言えば、僕のような音楽好きのユーザにとってはYou TubeやSoundCloudのようなサービスでも検索しきれない、とかレンタルでも見当たらないものはやはりお金を出して買うし、聴きたいと思ったものにはお金は払います。

そこを逆手にとって、Radioheadはアルバムの値段を自由につけれるようにしたりしてましたが、アレでもタダでダウンロードした人ってそれほどいないのではないでしょうか。(単なる個人的予想)

冒頭のブログではボカロが例に挙がってますが、ボカロってもともとネット発信のアーティスト達であり、音源なのでそりゃネットとも親和性が高いし、この女の子がスマホ片手にYouTubeでガンガンヘビロテしてる状況って、ある意味音源への価値としてはアリなんじゃないかとも思います。

僕個人的には、音楽を聴くときは「アーティスト」と「音源」が最初はひもづかない状態で、どちらかというとジャンルや系統から音楽を探して結果としてアーティストとひもづけたりして、そこからそのアーティストの作品を芋づる式に探したりします。

ただ、この前ちょっと同僚とも話したことですが、音楽を選ぶときって音楽の趣味だけじゃなくて、ファッション/アート/デザイン/好きな映画、とかその人を形作るセンスが影響しあってるので、そういうものを横断的にマイニングしてレコメンドしてくれるサービスとかあったら面白いのにな、と思います。

いずれにしても、「情報との出会い方のデザイン」っていうのが、このところずっとキーワードになっていて、この話もその類いのひとつなんだな、とちょっと思いました。

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あけました。2013年。

今年は、あまり去年を振り返りもせず、抱負も持たないようにしようかな、と思っていたのですが。
Twitterとか見てたら抱負めいたことを言っている人がいたり、ちょっと触発されたので一応書き留めておこうかと。

昨年は、振り返ってみると「社外で講演したい」とか、「IAやUXやマーケティングに関わる今まで概念で語ってきたことを実践できる環境を作る」とか言っていて、そのどちらも回数は多くないですが一応実現しました。

社外の講演でモバイルファーストについて話しをさせてもらったり、
http://www.slideshare.net/future79/120822-mobilefirstanduxshortinternalfin

社内の研修でIAについて語る機会をもらったり、
http://www.future-proof.jp/?p=2911

いままで自分が見聞きしてきたことをまとめてアウトプットする機会をもらえたことは非常によかったな、と思いました。

で、今年。

今年は、「刺激」の多い年にしたいと思います。
刺激を自分に与えることで仕事面でもプライベートでも多くのことを学びたい。と思っています。これだけです。

  • 刺激のある仕事
  • 刺激的な人と出会う
  • 刺激的な音楽
  • 刺激的な映画
  • 刺激的な芸術
  • 刺激的な哲学

いろいろな刺激があると思うのですが、刺激的なものをインプットをして、いいアウトプットを触発したい、もちろん人間的な成長も。

という感じです。

取り急ぎ、2月のMy Bloody Valentine、Ben Folds Fiveのライブを楽しみに生きて行きます。

今年も一つ、よろしくお願いします。

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11月17日はお祭り、ということで見てきました、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」。

もちろん旧劇から新劇に至るまですべてチェックしている僕なわけなんですが、今回はちょっとどう見ていいのかわからない部分も多かったです。正直。
なんとも言えない違和感を感じたまま始まり、終わる、不思議な作品にQはなっていると思いました。

ただ、メッセージめいたものはたくさん隠れていたような気がしていて、物語の構造の側面からいろいろ考えてみました。

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■物語の構造が大きく変わっている

旧劇から新劇場版:破に至るまで、個人的にエヴァの物語って「自者と他者とのかかわり合い、自者と世界との関わり合い」、という自分という存在を中心軸にとった物語の構造を取っていたと思っているのですが、Qではそれが真逆の「世界から見た個人」という視点に大きく切り替わっていて、物語の構造が大きく変わっていると感じました。
それが、物語全体を通じて僕が感じたいい意味での「違和感」につながったのかな、、、と思いました。

冒頭からラストに至るまで、いままでの世界の価値観やこれまでのストーリーとの関連をほとんど断った状態(関連していないというわけではなく、空白を埋める説明がない)で進んで行く。

また、物語が描く世界もシンジが対峙する世界もすべてが客観的に描かれていて、自分と世界がどう対峙するか、という前に世界は個人に関係なくその価値観をいつでも変えて行くし、その中で人はどう生きるべきなのか、ということを突きつけてくるようでもあります。

■空白の14年間に何があったのか

劇中、シンジには「罪」としてDSSチョーカーを首に装着され、かつて共に戦った仲間からも蔑視され、敵対視されます。

それは、サードインパクトを起こした碇シンジという1個人に対してではなく、「サードインパクトを通じて神に近しい存在になったものへの畏怖のようなもの」なのではないかと感じました。

同時上映の「巨神兵東京に現る」にもヒントがあって、劇中に「畏れが神の本質」というセリフです。

創造主だけが神ではない、破壊をもたらす神もいる。
太古から人は、どうしようもない状況におかれたとき畏れや安らぎを「神」という形で具現化して、よりどころとしてきました。

なので、シンジは敵対する存在というよりは「神への畏怖に近い」感情で見られていたのではないか、と感じます。
現人神のような感じに近いのかも、とすら思いました。
そう位置づけることでサードインパクト以降の世界を生きてきた人々は自分自身を納得させようとしたのだと感じます。

また、そういう感情を抱きながらもどこか「昔のシンジ」を思っている旧NERV(WILLE)のメンバーはシンジに対して「何もしなくてもいい」とはいうものの、そこでシンジを殺すこともしない。「生かさぬように、殺さぬように」扱います。
彼に使命を与えない代わりに、彼から居場所も奪わない。その時点で、そこには少しの優しさと希望は残されている、そう感じました。
ただ単に人質なのかもしれませんが。

■NERVとWILLE

劇中には、NERVとWILLEという二つの組織が登場します。
NERVは人類補完計画を遂行するための準備を着々とすすめ、WILLEはそれを阻止する立場、という位置関係。

人類補完計画は、個人の集合体としての「人間」という生命群をひとつに還元し、個の総体としてではなく、総体としての個に還元することを目的とした計画です。

ゲンドウは「自らの願望をかなえるために」、「すべての犠牲を払い」、自分の願いである妻ユイとともにあろうとすることを願っている。
個人が完全に他者と理解し合う、というよりも「同化」することで永遠の存在になりたい、というのが願いです。

WILLEは、ドイツ語で「意思」という意味を持ちます。
「意思は情報となり、自分自身の形も変えて行く」というセリフが劇中にありますが、まさにこれは人間自身の生の営みそのものを指しているのではないかと感じます。
人が起こす奇跡を信じているから、WILLE(意思)とWunder(奇跡)、なのかな、と。

自者と他者はおそらくどこまでいっても、同化しても完全に理解し合うことはない。
ただ、意思を持った個人同士が手を取り合うことで、愛情や絆を生むことはできる。不器用だけれど、間違いをおかして、それを改善しながらよりよい関係や、絆を作って行くことが世界をよりよくする一つの方法なのではないか。

NERVが人類補完計画を通じて、「人間」という個体への否定があるとしたら、WILLEという組織は「人間」としての存在の肯定があるようにも思えます。
WILLEがミッション遂行型の傭兵集団のようでありながらも、その戦い方が「チームプレイ」を中心に置いているという点は、人と人が手を取り合うことを目指していることの現れでもあると感じました。

また、物語のキーはピアノの連弾シーン、「もっといい音を出すには」「反復練習しかない」という対話につまっていると思っていて、世界も反復する過ちのなかでじょじょによくなっていくもので、そこに必要なのは人の「意思」しかない。

そういう意味で、意思を持った個体としての人間も捨てたものじゃないし、今こそ人と人が手を取り合って生きて行くべきなのではないか。
世界は自分と関係のないところでいきなり価値観も何もかも変えてしまう存在だし、飼いならすことなんてできないので。
というメッセージが込められているような気がしました。

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ラストシーンのアスカがシンジの手を引いて歩いて行くシーンは、「一歩ずつ歩く」というその行為にとてもポジティブなものを感じたし、全編を覆うシリアスで冷酷なトーンの中に、少しだけ見える希望の糸口が、作品を実は優しいものに仕立てていると感じました。

この作品の中には、制作者の意図はどうかわかりませんが「3.11以降の世界」を重ねてしまう部分が少なからずありました。
あれ以降、世界は価値観がまるで変わってしまったし、言いようもない怖れや不安が常に世の中を取り巻いていて、皆が焦燥感のままに行動しているようにも見える、不思議な感じを受けます。
宮崎駿氏も「ファンタジーをやっている場合ではない」と発言していて、今回の作品は設定はファンタジーだけど、テーマはとてもリアリティがあるな、というのが印象です。

やっぱり、人は人であり、ともに手を取り合って新しい世界を作って行く。多少過ちを繰り返しながら。
ああ、エヴァって結局ずっとそういう話だったんだな、と思いました。
そういう意味でとても慈悲にあふれた話なのかも、とも思いました。

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CINRA.NET( http://www.cinra.net/ )で取り上げられてて、ちょっとおもしろそうだなと思ったので「プチロック」なるイベントに参加してきました。

慶応義塾大学の三田祭の中の1イベントだったのですが、講師が豪華。
イベントといっても、ほんと入って10数人というゼミ教室でやっていたので、手弁当感満載でいい感じでした。

特におもしろかったのは、大友良英さんが講師として登壇した、「80年代〜90年代のオルタナティブミュージックを徹底的にDIGする」という講義。

自分自身、正直それほどオルタナティブミュージックへの造詣が深い訳ではないのですが、当時の「シーン」を作ってきた人々が、70年代の「学生運動」や、その他いろいろな社会の仕組みと戦っていたこと、シーンを作ってきた人が既存のシーンに抗いながら、互いに寄り集まり新しいシーンを作ってきたことなど、実際の体験者の話を聞くととても面白かったです。

今の話を聞くよりも、昔話のほうがよっぽど面白い。

大友さんが講座の後半に口にしていた「インサイダーと観察者とアーカイブする人がいなければシーンはなかったことになってしまう。」というのがすごい印象的で、過去の伝説的シーンもその伝説の目撃者とアーカイブする人が情報を伝えているから伝説になったワケです。
すごく、この言葉が心の中に残って、帰り道も何度も何度も反芻しました。

僕が生まれたのは1979年、ちょうど世代としては1990年代、僕が通ってきたのは「シブヤ系」とかって言われるオリジナル・ラブやICE、フリッパーズ・ギター、カジヒデキなど、ファッション、ミュージック、アートみたいな部分を融合したようなカルチャーでした。
ギリギリ、ミュージックシーン的なものを体験できた世代なのかも、と思いました。

今って、「○○系」とかいわれるカルチャーシーンってそんなになくなってしまっているような気がします。

映画や、音楽や、写真や、アートや、デザインや、そういうものって「社会、時代のにおいと密接で、そこに生きる人と世界の関係性の中で生まれる」ものだと思っていて、その感じがちょっと希薄になっているのかな、と思います。
文化、社会のような普遍的な価値層の中からコンテンツが生まれないため、それがシーンとして根付かない。
たとえば、「表現」や「手法」や「スタイル」などのような表層からものが作られることが増えたし、誰でも制作者になれる時代で、そういう創作物が増えたのかもしれない、と思いました。

コンテンツを「情報として処理する」って感覚がすごく強くて、でも本来そうではなく「理解し、読み解く」ことが重要だと思っているんです。

理解力、思慮、想像力、考察力。

僕もデジタルな領域でものを作っているもののはしくれとして、「すぐになくなるものを作りたくない」、最近とみにそう思います。
できることならば、長く使ってもらえるもの、長く残り続ける考え方、仕組みを作りたい。
ぼくは大友さんの言葉でいうところの「インサイダー」、業界の中の人なので、どれだけの「観察者」を引きつけられるかが、「アーカイブする人」を生み出すことになる。

このブログのタイトルは「future proof(将来性を考えた)」という言葉からとっているのですが、なにをどうやってがんばって行くのかは具体的にはよくわかんないですが、もっとストイックにもがきながらやっていこうと思いました。

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ちょっと前になりますが、自分が現在所属している会社の研修の一環で「情報アーキテクチャ」をテーマにした講座の講師を拝命して研修を行いました。

対象はおもに若手社員、というターゲットが設定されていて、講座は全3回となぜかきまっていました。

正直、3回もネタが持つかなー、と思ったり聴いてくれる人も中だるみ感がないようにしたいな、と思っていろいろ考えました。

考えた結果、講座は

 ・過去
 ・現在
 ・未来

の3軸に分けることにしました。

なぜ、そうしたかというと若手をターゲットにしていたので、若手に「Web業界でなぜIAが必要とされるようになってきたか」、を知ってほしいと思ったからでした。
それを知ることで、僕らが相手にしているクライアントさんがどういう課題意識を持って、僕らにご相談いただいているのか、プロジェクトを進める過程でどういう悩みを持って僕らと対峙しているのか、という部分を少しでもわかってほしいと考えました。

今回の研修のキモはそこで、第一回目の内容で「過去」を掘り下げましたが実はそれが一番重要だと思っています。
最新技術を追う前に、まず先人達を知る。
これが、未来に目を向けるヒントになり得るからです。

僕が個人的に思っているのは、僕らにご相談いただくクライアントさんは課題があるのでエージェンシーに相談しよう、というよりも「課題が明確にならないことへの悩み」があると思っていて、それを「明確な課題として抽出」して、それに対する最適解を見つけ出すのが僕らの役目だと思っています。

IAは企業のいろいろな情報に触れるポジションですし、整理・分類に長けているだけではスキルとしては片手落ちだと思っていて、整理・分類、わかりやすさ、理解への道筋を作る、ということの裏には「クライアントさん、パートナーさんとの丁寧なコミュニケーション」が必要だと思っています。
コミュニケーションに丁寧さを与えるのは、やはり「いろいろなことを知るしかない」、とこれに尽きると思います。

なので、今回の研修では、「IA」をテーマに扱いはしましたが、裏テーマとして含んでいるのはそういうことなのかな、と思っています。

なので、実務的な話題は極力優先度を下げて、わざと概念的な話を多くしています。
聴く人によって解釈して、自分の血肉として、それぞれのポジションや業務に活かしてほしいので敢えてそうしました。

研修で使った資料は、再編集してSlideShareにアップしてみました。

□第一回



□第二回



□第三回

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先週、第30回WebSig会議「Webディレクターの過去・現在・未来?これから求められるスキルセット・マインドセット」に参加してきました。

セミナー本編は、プレゼンテーションセッション+パネルディスカッションという構成で、セッション自体もいろいろと考えさせられる内容だったのですが、個人的には会の終了後の懇親会やその後の飲み会で、何人かと議論していた内容のほうがしっくりと来る感じがしたので、その内容を掘り下げてまとめてみることにします。

そもそもディレクターって。

僕がこの業界に入ったのは、2004年でした。
2004年当時は、Webディレクターというと「デザインやコーディングの知識まで備えて、一人でなんでもできる職人気質の人」というイメージの人が多かった(僕が入った会社がたまたまそうだったのかもしれないですが)気がします。
実際、僕も最初はマークアップエンジニアから初めて、Flashのスクリプトを組んだり、システム開発案件の要件定義からテクニカルディレクションまでやったり、いろいろなことを経験して、「ディレクター」と名乗っていた気がします。

当時は逆に、「プロデューサー」「プロジェクトマネージャー」みたいな役割も皆「ディレクター」というタイトルにすべて役割が集約されていたイメージだったと思います。

業界全体のリソースも限られていたし、業界の仕事自体もそれで回せていたから、とも言えます。
トリプルメディアで言うところの「オウンドメディア」のみを見ていればよい、という時代だったように思います。

ただ、それから数年が経ってWeb業界の仕事は、「Webサイトを作る」仕事から「企業がデジタルメディアをビジネスにいかに活用するかを考える」仕事に大きくシフトした(あるいはすべき)、と感じます。

領域が拡張し、いままでのように「一人でこなす」には全然カバーしきれない分野にまで仕事も広がり、結果として「専門分業」というスタイルが業界内でも浸透しはじめ、結果として「制作を経験していないディレクター、あるいは制作からのキャリアパスを踏まなくてもディレクターと名乗れる」ようになってきました。
要は、「名乗ったもん勝ち」な感じになってきた、と。

それをふまえた上で、僕が考えるディレクターの定義というと、

  • 担当する役割は、プロジェクトごとに異なるし、それをプロジェクトごとに定義する必要がある
  • タイトル(肩書き)であるのと同時にスキル(能力)
  • 制作進行管理も大事だけれど、
  • どちらかというと、プランニングレイヤーまで含めて担当するべき
  • 不確実な要件を具体的な部分に落とし込める
  • 制作物に対して、こだわり(エゴではない)を持てる人

のような感じでしょうか。
プロジェクトによっては、プロジェクトマネージャー=ディレクター、とかプロデューサー=ディレクター、というパターンもあると思いますがそれも規模や状況によるので、そういう意味でもスキル、としておくのがいいのかな、と思ったりします。

変わって行くWebの仕事。

前述のとおり、Web業界で扱う仕事もだいぶ変わってきたと肌で実感しますし、これからもその変化は大きくなってくると思っています。

懇親会での議論でもあったのですが、おそらくは今後受託としてのWeb制作の仕事は、

  • 前述の「企業がデジタルメディアをビジネスにいかに活用するかを考える」ような仕事
  • 語弊を恐れずに言うと、工場的に、大量/あるいは短期で、いかに効率よくモノを作れるか、という仕事

に二極化されていくという考えに僕も概ね賛成です。

案件のご相談にしても、最近は「RFPや要件が決まった上での相談」はむしろ減ってきていて、かなり不確実な状況から話合いを始め、会話や情報収集の中からプロジェクトの要件や、RFPとなる要素をこちらで整えて行き、お膳立てするというケースが多くなってきています。
なので、個人的には「プロジェクト要件は決まっていることが前提」と考えていては仕事にならないし、対応力が上がって行かないと考えています。
「不確実な要素を具体化するプロフェッショナル」として、価値を発揮するディレクターもいてもいいわけです。

一方で、規模の大きい案件の実装フェーズだったり、単発のプロモーション案件に関しては、規模と効率がポイントになるのはもちろんのこと、コストの効率(人月あたりの工数単価)の関係上、海外のベンダーとやりとりをすることも多くなっています。
国内外のベンダーとやりとりをコーディネートしながら、いかに効率よく実装を進めるか、という視点も重要になってきていると感じます。
この場合は、「複数、大人数の関係者を束ねてみんなが締め切りに向かってスムーズにプロジェクトを進めて行くプロフェッショナル」としての価値付けです。

そういう意味でも、案件や仕事の種類がそうなったときに、それぞれの状況でも「ディレクター」の持つ意味合いはまったく変わってくると思っています。

キャリアパスとしてどちらかを極める、という道もあるしどちらかにシフトする、という道もあると思います。

どちらのキャリアパスを選ぶにしても、そこに対する「自らの価値」を決めて行くのはやっぱり「スキルセット」次第なんじゃなかろうかと思っていたりします。
逆に言うと、「ディレクターをアサインして進行管理するので、見積もりの15%を管理進行料でもらいます」という説明が通用しなくなってきていて、そこにも価値付けが必要になってきているとも言えるかと思います。

そこで、自分の価値を決めるのはやっぱり「スキルセット」ということで、スキルセット重要、と僕も思いました、

その上で、「スキルセット」と「マインドセット」を考える

スキルセットは、個人の能力であり価値である、という点で非常に大事だと思うし、リソースアサインの際の「適材適所」を見極めるのにも重要な指標です。
なので、

  • デザイン
  • マークアップ
  • スクリプトの知識
  • システム/インフラの知識

というテクニカルなスキルセットと、

  • スケジュール通りに管理する能力
  • 見積もりやコストの感覚
  • コストの妥当性を説明できる能力

などの、コミュニケーションのスキルセットを組み合わせて判断して、プロジェクトに適切なスタッフィングをするというのも重要な気がします。
これによって、マークアップエンジニアだけど、スケジュール管理とコストの感覚に長けているので、外部パートナーのディレクションを担当させる、などのアサインが可能になるし、それは個人の存在価値にもつながります。

マインドセットという話で言えば、僕ら業界をとりまく環境も常に変わって行くし、クライアント企業をとりまく状況も常に変わって行く、そうすると案件やプロジェクトも変わってくるのは当然のことですが、そうなったときの仕事や、担当範囲だったり、ものごと自体の考え方を変えて行かなければならない、という「変化」に適応できるか、というのが重要なマインドセットになると思います。
あるいは、そういう変化を自ら作って行くくらいのことも求めてもいいのかもしれません。

まとまらなくなってきましたが。

飲み会のときに、ワンパクの阿部さんが「クライアント側も登壇してもらえばよかったのに!」とおっしゃっていましたが、僕もそれは感じました。
僕ら業界の中での視点と、クライアントの視点を取り入れることで僕らが求められていることも浮き彫りになるし、すなわちそれが僕らがさらされている変化だとも言えるから、「未来を考える」という視点では、それもあってよかったかな、と。

いずれにせよ、本当に多くのひとがこの話題には感心をもち、意見をもっていることがわかって、議論を交わしていてもとても刺激的だったし、学びも多かったです。

 

 

 

↓会のアツさを物語るようにいろいろな記事がすでにアップされています。

■WebSig(公式)のレポート
第30回WebSig会議「Webディレクターの過去・現在・未来?これから求められるスキルセット・マインドセット」終了報告&個別セッション資料公開
http://websig247.jp/meeting/30/000236.html

■クロイシロ|Progettista・Webディレクターの思考
第30回WebSig会議に参加しての感想と自分が考えるWebディレクターのスキルセット
http://k-yoshiaki.com/?p=1754

■モデレータ:家入さんのブログ
第30回WebSig会議に参加してきたよ!その2?会議当日です
http://blog.ieiriakiko.com/?eid=89

■登壇者:NHN Japan谷口さんのブログ
WebsigとWebディレクターのフレームワーク
http://blog.chakuriki.net/archives/51346372.html

■まとめ記事
ツイートも大盛況 第30回 #websig 会議「Webディレクターの過去・現在・未来」
http://matome.naver.jp/odai/2134042440700368801

第30回WebSig会議「Webディレクターの過去・現在・未来?これから求められるスキルセット・マインドセット」 #websig
http://togetter.com/li/325924

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最近、よくプロジェクトでBaseCampを利用するということもあって、37 signalsの本なので、ということで手にとって読んでみました。

内容はとてもシンプルで、おそらく通して読めば数時間で読み終わるくらいの読みやすさでした。

手に取った当初は、もう少し「スタートアップ」とか「企業や組織に対する考え方」みたいな内容なのかと思いきや、若干違っていました。

企業や組織、というよりは「個人」の働き方にスポットを当てた内容になっていて、それがとても共感できる内容でした。

そこに書かれているのは、とてもシンプルで「決断する」ということと、取捨選択をするということだと思います。

  • 判断、優先すべきものの取捨選択
  • 効率のよい仕事は仕事のパフォーマンスに影響する
  • 物事を具体的にすることを恐れない
  • 情報を公開することで相手をひきつける

というポイントがあったように思います。

判断や優先すべきものの取捨選択は、「これもあった方がいい」「あれは押さえておいた方がいい」という発想ではなく、「本当に必要な一つのものは何か」という考え方にすることで、自分自身の軸や芯をしっかりと保つための判断の仕方。

僕も、日頃仕事をするときにこの部分はとても気をつけているのですが、「すべてを優先することは、何もできていないことと同じ」であって、その時々に本当に必要なことをみつけ、気づき、それを中心に自分で仕事を組み立てていくことが効率的に仕事をするための一つのコツだと感じています。

また、会議についての非効率さについての非常に共感で、僕も周りでおおいのが「時間がかかりそうだから長めに時間を押さえておこう」と言う人や、「アジェンダと今日の打ち合わせのゴールは?」と聞くと曖昧な答えしか返さない人。

僕はこれはそもそもの考え方が逆だと思うのです。

「2時間かけて、この内容を議論して落としどころはこのへん」ということが見えない限り、打ち合わせなんて何時間やっても終わらないし、不毛なだけです。

僕も日頃気をつけていますが、会議を招集する際は時間をしっかり区切って、アジェンダと僕なりの結論を用意してのぞむようにしています。そうでないと議論なんて到底会議の場ではできる状態にならないと感じます。

あとは、サービスやウェブサイトの話をするときに「ターゲット設定は」という問いに対して、「オールターゲット」とする場合もたまにみかけますが、これも僕はちょっと違うかなぁ、と思います。

企業はビジネスを行っている訳なので、顧客になりえる人に対するアプローチをしたいはずです。戦略的にアプローチしたいターゲットや、企業が取り込みたい層というのが存在するはずなのに「オールターゲット」をとるということはすなわちターゲット設定ができていないのと同じ。

こういう部分も、文中で書かれていた「シンプルに判断して、伝える」という部分とちょっと近いのかな、と思ったりしました。

なんとなく最近思うのは、会社を活性化させるのは「企業の中の個人」ではなく、「個人が企業にいかに自分のスキルをフィードバックできるか」という視点なのではないかと思っています。

企業の文化や前例などもちろん大事な場合もあると思いますが、特に僕らのようなIT系と呼ばれる業種の場合、企業のサービスや企業のプレゼンスをあげていくアイデアが必要だし、それを行動に移すことが重要です。

そのためには、語弊を恐れずに言うならば企業という枠組みを自分の都合がいいように利用すればいいのだと思います。

シンプルにフレキシブルに考え、動ける個人が集まって、新しい風を会社に吹き込む、それが新しい会社の活力になる。
そういう動きがあってもいいのではないかな、と思ったりします。

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毎年恒例になっている、IA Summit報告会「IA Summit Redux Tokyo2012」に参加してきました。

今年は、ルイジアナ州ニューオーリンズで開催、参加者が24カ国680名超だったようで過去最大規模だったそう。
参加者のタイトルも「IA」「UX designer」みたいな人から「コンテンツストラテジスト」「SEOスペシャリスト」など多岐にわたったようで、今回のセッションの内容ともちょっと関係があるのかもしれません。

日本からは、コンセントの長谷川さん、河内さん、アクアリングの平野さん、楽天の坂田さんの4名が参加されました。

報告会や、セッションタイムテーブルを見た感じで印象的なポイントは、

・Content Strategy系の話題
・Cross Channel UX系の話題

かな、と思います。

■Content Strategy系の話題

コンテンツ戦略系の話題では、やはりKaren McGraneの「Adaptive Content」に関するセッションが興味深かったです。
コンテンツの一貫性や、コンテンツの持続性/継続性を保つというコンテンツ戦略の考え方の一つのアプローチとして「メタデータ」の重要性をKarenは説いています。
COPE – create once publish everywhere」として、一回作ったものをどこでも配信できるのが理想、と説いています。

CMSへの入稿データの設計だったり、「メタデータの正しい設計」がコンテンツをいろいろなデバイスに適応させることができる、という意味でのAdaptive Contentという考え方自体がCross Channel系の話題の土台になる気がしていて、僕はCross Channel系の議論をする前にまずこの分野を深めてみたいな、と感じました。

僕が最近取り組んだプロジェクトで、近いことはやっているものの「メタデータ」という部分までブレイクダウンして設計できていたか、というとちょっと課題も残ると感じていましたし、「IAはCMSやコンテンツ管理の設計にもコミットすべき」というこのセッションでのメッセージは非常に共感でした。

例として、プレゼンターの楽天坂田さんがNFLモバイルのCMを紹介してくれています。

アメリカではフットボールは国技で、「どこでも生中継が見たい!」というニーズが非常に高いそう。
モバイルでもPCでも、フットボールの生中継が見れることを訴求したCMなのですが、これを実現するためのコンテンツ配信や、登録データの持たせ方、それぞれのデバイスのインターフェースの設計、というのもチャネル感のUXを語る上で非常に重要で、僕はむしろそちらにちょっと興味を持ちました。

■Cross Channel UX系の話題

Cross Channel UX系の話題では、やはりカスタマージャーニーマップなどのマッピング系の話題が多かったように思います。

中でも、Adaptive Pathのセッション「Mapping the Experience」は端的にまとまっていて、スライドも非常にわかりやすかったです。

前提として、チャネルとタッチポイントの違い(チャネルはユーザとの接点、タッチポイントは実際にサービスとインタラクトするポイント)であり、混在すべきではないと定義していました。

Experience mapを検討するにあたっては、「inside – out:サービスがどう機能するか」「outside -in:ユーザにサービスがどういう体験を与えるか」という視点で、チャネル感の体験を「Feeling(感情/モチベーション) , Thinkig(フレーミング/認知) , Doing(行動)」という3つの要素に整理、マッピングしていくということでした。

これらのExperience Mappingの領域においては、

  • Service Blue Print
  • Service Life Cycle
  • Costomer Journey Map
  • Business model Canvas
  • Persona
  • Experience Scope
  • Journey Script
  • Touchpoint Matrix

など、いろいろな成果物があるようですが、当たり前のことながら成果物を整理することやマッピングをすることが目的ではないので、フレームワークとして活用して素早く開発を進めるということを忘れてはならないと感じました。
ただ、こういったフレームワークや可視化のツールは、いろいろな人とのコミュニケーションをとり、価値観を共有するのには非常に有効で、ワークショップ等を通じてこれらの成果物を仕上げていくプロセスが取れればいいなぁ、と感じました。
本来そうすべきだと思いますし。

ただ、このCross Channel系の分野、報告会が終了したあとにスタートアップの支援をしているという方とお話する機会があって、いろいろとディスカッションしていたのですが、スタートアップのサービスデザインのプロセスにこの分野を導入していくにはハードルがまだまだあるな、と感じました。

限られたリソース、限られたコストや資金の中で、フレームワークに沿ってユーザ像やサービスのコンテキストを整理している余裕がない、でもサービス自体を軌道に乗せるにはどうしたらいいのか、という問題やデザインの重要性を説いたところで投資家の理解を得られない、などかなり難しい状況に陥っていることも話の中からわかってきました。

今日目にした、「デザインはスタートアップの成功にどの程度影響するのか?」という記事などでスタートアップにおけるデザインの重要性が語られていますが、Lean StartupやAgile UXなどスピーディーな開発プロセスをいかに、インプリしていくかという視点が重要そうです。

■デザインはスタートアップの成功にどの程度影響するのか?

http://www.startup-dating.com/2012/04/how-much-does-design-impact-success-for-a-start-up/

フレームワークやツールということではなく、プロトタイプやモックアップの精度をいかにスピード感をもって高くしていけるか、という視点が重要なのかな、と感じました。

いままでなんとなく、Lean StartupやAgile UX的な分野に触れることが少なかったのですが、これを機にちょっと調べてみようと思いました。

IAS全体を通した「新しい気付き」は残念ながら今年のIA Summitからは感じられなかったですが、セッションの内容からも見て取れる「Cross Channel」への重要性の示唆というのはとても感じたので、いかにこの部分で僕らも知見をためていけるかということが今年一年を通した課題になりそうだと感じました。

この種のイベントはセッションの報告を聞くということももちろんタメになるのですが、聴講した人たちと懇親会の場でディスカッションすることからもたくさんの学びを得られるので、そういう意味で非常に有意義な会だったと感じました。

最後に、楽天坂田さんが今回のIA Summitのスライドをまとめたサイトを作ってくれたようです。
かなりのボリュームのスライドがあるので、時間を見つけて再度読んでみたいと思います。

http://www.scoop.it/t/user-experience?page=1&tag=ias12

※追記 120429
Reduxのスライドがアップされたようなので、追記します。

USTのアーカイブも。



Video streaming by Ustream

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先日行われた「Web担当者Forumミーティング 2012 Spring」に行ってきました。

オープニングキーノートの三菱電機 粕谷さんの講演「Webマスター進化論」を楽しみにしていたのですが、やっぱりとても興味深い内容でした。

三菱電機のコーポレートサイトは、僕自身も個人的にIAの理想型だと思っていてことあるごとにチェックさせていただいているくらい、勉強させていただいているのですが、なかなかその中身までは伺う機会がなかったので非常に勉強になりました。

キーノートで印象に残ったのは

・HCDプロセスとIA視点
・アジャイル

という2点を三菱電機ほどの巨大なウェブサイトで実践できている点ではないでしょうか。

特に、HCDとIAの部分。

IAというと、まだ多くは「サイトの構造」や「画面の要素設計」からの「UIとしての使いやすさ」みたいな部分に議論が集中しがちですが、印象的だったのは「HTMLファイル数の効率化」や「メタデータレベルの情報効率化」という視点からIAに取り組んでいるところが、おそらく一歩も二歩も進んでいるし、僕らも学び、実践に取り入れるべきポイントと感じました。

現に、「サイトプリント」や「おすすめショーケース」といった機能はコンテンツ管理の仕組みや、サイト内検索のAPIとデータが連動していたり、情報の管理効率を念頭に置いた設計になっているようです。
僕は、このサイトの「ウェブサイト」というよりも「情報」自体を資産ととらえて効率的に活用するというスタンスにとても共感しています。

また、アジャイルという部分では、「全員参加型のミーティング」という考え方がとてもおもしろいなと感じました。
その場で意見を出し合い、プロトタイプを作って検証していくというプロセスは、ウォーターフォールで工程/工程でやっていくよりもはるかに効率的なのではないかな、と感じました。
ベータ版の状態でもトップページは公開してしまって、アンケート結果をもとにリファインするという考え方も「なるほど」と感じました。

これらのプロジェクトへのアプローチで重要になってくるのは、「人」だということになるのでプロジェクトの進め方や目的をみんなでいかに共有できるか、がポイントになってきそうだと感じます。

プロジェクトの進め方とか、スケジュールとかの検討もないがしろにしないで、キックオフする前からプロジェクトは始まっていると思ってやったほうがいいと感じました。

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先日、4月6日に品川の日本マイクロソフト本社にて開催されたWindows8 UX Workshopに参加してきました。

基本的には、先日カスタマープレビューが公開されたことを受けたIA/UXデザイナー/デベロッパー向けのMetro Style Appの設計手法の講義という内容でした。

講義は、Windows PhoneにおけるUXデザインなども手がけたAvlade社のJennifer Smith氏と、米Microsoft Windows8チームのBonnie Lau氏の2名でした。

基本的な内容としては、「Metro style design principles」の5原則を詳しく説明したのち、Metro Style Appの設計のワークを行うというもので、基本的なWindows8 UIの紹介がメインでした。

Metroの設計思想として「徹底したクロムの排除」が挙げられます。

ここで言うクロムとは、Google Chromeのことではなく、以下のことです。

クロームとは、画面のコンテンツについての情報をユーザーに与えたり、その画面のコンテンツを操作する指示を出すためのビジュアルデザイン要素である(画面のコンテンツに属しているのではない)。
(U-Site:http://www.usability.gr.jp/alertbox/ui-chrome.html

ブラウザウィンドウやOSのツールバーなど画面領域を占有する要素や、エクスプローラーのウィンドウなどのディレクトリツリーなどのツール類などをさします。

Metro Styleにおける設計思想では、これら「クロム」のうちのほとんどは「常に必要ではないもの」だと定義しており、ユーザが常に必要とするのは「コンテンツ」であるという考え方から、グリッドにアイコンやグラフィカルな要素をあしらった直感的なUIが誕生したようです。

Metro UIはそれ自体がアプリケーションのアイコンであり、それ自体がコンテンツであるという点が一番特筆すべき点なのではないかと思います。

Live Tileという機能を用いて、アイコンに最新のコンテンツをフィードさせることもでき、Startの画面からでもよく使うコンテンツにすぐにアクセスできるシンプルさが操作性のよさだとも感じました。

Metroにおけるデザイン原則の中に「Do more with less」という項目があり、そのステートメントには「Be great at something instead of mediocre at many things.」という記述があります。
アプリ内での情報要素を極力しぼり、「一番伝えたい内容やコンセプト」にしぼるべし、というものでそれを基にユーザのシナリオを組み立てるべし、というデザイン原則まで決められています。

■Metro style design principles
http://msdn.microsoft.com/en-us/library/windows/apps/hh781237/

情報や機能としては、開発の途上で「あれも」「これも」と盛り込みたくなりがちですが、それをガイドラインのレベルで規定している点が興味深かったです。

また、Metro Style Appでは画面遷移にも規定が設けられています。
基本的には、アプリの画面遷移は「ヒエラルキー型」の階層を持った構造か、フラットシステムと呼ばれる直線並列構造の2種類のみが設けられています。
ヒエラルキー構造に関しては、Hub-section-detailという3層が推奨されています。

■Navigation design for Metro style apps
http://msdn.microsoft.com/en-us/library/windows/apps/hh761500.aspx

■ヒエラルキー型

■フラットシステム

実際、ガイドラインにそってGreat atな点を洗い出して、ナビゲーションを設計していくと「情報の分類が複雑になったときはどうするのか」や、「3層で詳細まで分類しきらないときはどうするのか」という疑問があがりました。

Metro Style Appを設計する段階で情報をしぼる必要があり、「選択と集中」をした上で利用者のシナリオに当てはめるという設計手法でしか設計できないという点で自由度は限られているものの、非常に明快でフレームワークの中で作業しているかのようなシンプルさはありました。
基本的には、Metro Style AppやMetro UIの性質上、膨大な情報を絞り込んでいくというプロセスよりはあらかじめしぼられた情報を扱いやすく表示させるという方向が近いのでは、と感じました。

参加した方の中には業務システムの開発に携わっている方もいたようで、「Metro Style Appのようなシンプルな構造を持ったアプリは業務システムに適応するのか?」という問いもでていましたが、「そういう場合は従来のデスクトップアプリを構築した方がいいかも」とのこと。

Metro Style Appは設計手法までフレームワーク化されており、非常にシンプルなプロセスで設計ができるのは確かに魅力でしたが、どういう場合/どういう業種などにマッチするのか、という部分だったり、検討が必要な面も多いと感じました。

—————-
■追記:12/04/10

Metro Style Appは言わずもがな、タブレットに最適化されたUIで、前提としては「セマンティックズーム」という横スクロールがメインです。これは人間工学的なタッチ操作のパターンで座った姿勢やねそべった姿勢で操作しやすいからだそうです。
なので、もちろん縦置きにも対応しているものの前提としてはランドスケープモードでの利用に適した作りになっているのではないかと思います。
また、デスクトップモードとMetroモードの切り替えができることにより、画面をタッチ操作できるPCのようなプロダクトやタブレットなど、いろいろな幅が考えられるのではないかと思います。

ただ、Metroの基本前提としては「慣れ」ないと使えないという点で、UIを操作するのに学習が必要であるという点にハードルを感じました。
トライアンドエラーを通じてインタラクションを学習していくことによって、使いやすさを感じていくというのがMetroの基本方針ですがタッチジェスチャによってはなんのインストラクションもないと存在すら気づかないものもあるので、使いこなせるまでの道のりというのも考えてみる価値がありそうだと感じました。

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